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和田新田&大和神社
2015-04-15
今回は弊社、「菅野食品」が誕生した
蒲生の和田地区についてご紹介いたします。
七北田川左岸、高砂橋のたもとに広がる和田地区は、
古くから「和田新田」とよばれてきた地域です。
この地名は、江戸時代初期、伊達藩の家臣
だった和田家(着座…1814石)によって「新田開発」が進められた拠点だった事に
由来しています。
初代、和田為頼(ためより)は大和国高取(現在の奈良県)
の出身でしたが、京都伏見で伊達政宗に召し抱えられ、
藩政に大きな貢献をした人物です。
寛永年間(1624~1644)和田家が藩から「在所」として与えられたのが
現在の和田地区です。
*在所…藩の要地に守りや管理の為家臣を配置した拠点。
「和田新田」は土塁と堀を利用し、また道を屈曲させる
等、防御を考えた小さな城下町のような造りになってました。
家中の人々は和田家のもとに結束し、荒地の開拓を始め、
収入を得る為、養蚕や漆の栽培にも取り組み
江戸時代中期には55軒の家中屋敷、36軒の足軽屋敷があったと
伝えられています。
明治時代になっても和田家はこの地に住み続け、集落の
人々は和田家の守り神だった「大和神社」のもとに集まって
強い地縁を維持してきました。
*大和神社…氏神として京都伏見稲荷神社の分霊を観請し祀った社。
和田氏が大和(奈良)の出身の為大和神社と称した。
明治に入り和田地域の鎮守の神として寄付され今日に至る。
*和田家の主な事業…北上川改修、石巻の野谷地開発、植林、武術
御舟入堀の開削(貞山運河)等々
【BLOG更新は・・・和田出身のMでした】